ホーム離婚までの経緯シリーズ ≫ モラハラの刃に傷つきながら、母が口ずさんだ埴生の宿(はにゅうのやど)~離婚までの経緯20

モラハラの刃に傷つきながら、母が口ずさんだ埴生の宿(はにゅうのやど)~離婚までの経緯20


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「埴生の宿も わが宿 (中略) のどかなりや 春の空 花はあるじ 鳥は友」(「埴生の宿」より引用)


これは埴生の宿(はにゅうのやど)という童謡の歌詞の一部です。


年配の方なら、学校時代の音楽の時間に習ったのではないでしょうか。


あるいは、毎年夏になるとテレビ放送される高畑勲監督の「火垂るの墓」、あの映画の挿入曲として、聞き覚えのある方もいるかと思います。


実はこの歌は、


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私の母が昔から好きで、よく口ずさんでいました。父が亡くなって、私と同居するようになった頃、特によく歌っていたように思います。


歌詞の意味を私なりに解釈すると、


「たとえ貧しくても、ここがわが家。他所の家が、どんなに豪華できらびやかでも羨ましくはない。のどかな春の空の下、花が咲き、鳥が歌う、わが家での思い出は楽しいことばかりで心がなごむ。」


と、そんな感じです。


母は、あの頃、この歌をどんな思いで歌っていたのかと思うと、胸が痛みます。


いつも明るくて朗らかだった母ですが、あの頃はほとんど笑わなくなっていました。それは、二人三脚のコンビのような父を亡くして、心細かったせいもあるでしょう。


でも、母の笑顔がなくなったのは、わが家に同居したことで、思いがけず私の元夫のモラハラ攻撃のターゲットになってしまったことが、最も大きな原因だったと思います。


元夫の容赦ない「言葉の刃」は、どれほど母を傷つけたことか。


自分が帰宅したときに母がリビングに居ると、「なんか臭いなあ~」と嫌味をいい、ひどいときにはこれ見よがしに消臭スプレーを振りまく仕打ちまで。


そのうち母は、元夫の帰宅時間が近づくと、そそくさと2階に引き上げるようになってしまいました。


ほかにも、母がお風呂に入ったあとに次男が入ろうとしたとき、

「お湯を入れ替えんとあかんぞ!年寄りが入ったあとやから。」なんてことを言うんですね。


もちろん次男は聞き流して、平気でそのまま入りますよ。でも、元夫の言葉に敏感になっている母は、風呂から上がった次男に「ごめんね~、今度から最後に入るからね。」なんて謝っていました。


「なんで順番なんか気にせんでええよ。おばあちゃんが入りたいときに入って。」と、次男が気づかってくれていたけど、ホントにもう


元夫の嫌味や当てこすりは、モラハラの特徴なんだから気にしなくていいと、いくら私が言っても、やはり母には気になってしまうんですよね。


私自身も相変わらず元夫の言葉の攻撃は受け続けていたのですが、このときはすでにモラハラをしっかり認識できていたので、いちいち怯えたり服従したりはしません。


だから、10数年にわたって自分がいためつけられてきたことよりも、母を傷つける元夫のモラハラ行為が許せなかったのです。とにかく、元夫が何を言っても取り合わず、とことん母をかばい続けました。


そんな私の抵抗が、元夫のハラッサー魂をあおってしまったのかも知れません。その後、ハラスメントが益々エスカレートしていったのです。


前回の記事でも書いたとおり、母が料理を作って出せばそっくりそのままゴミ箱に捨てたり、母が掃除機をかけたそばから煙草の灰を落としたり、家の中で母の姿を見るたび思い切り大きなため息をついたり。


母は元夫が家にいるときは、よく庭に出て花壇の世話をしていました。家の中に居づらかったのだと思います。


花殻を摘み取ったり肥料をすきこんだり、生前の父がよくしていたように、何かしら花達に話しかけたりしていたようです


その時、母はよく埴生の宿を口ずさんでいました。


夕闇の迫る時間、母の歌う声が、とても物悲しくて切なくて、今でも耳に残っています。


そして、「わが家での思い出は楽しいことばかり…」という歌をくり返す母の歌声は、私の決意を促しました。


そうだ、この家は、わが家なんだ!
父と母が建てた家、そして私と弟が大きくなるまで暮らした家。
母が歌っているとおり、家族みんなの楽しい思い出がいっぱい詰まった家。


そこにわがもの顔で侵入し、優しい母をモラハラの刃で傷つけているのは元夫。そして、そんな恐ろしい人を私達家族の人生に招き入れてしまったのは、ほかでもないこの私。


だから、私が責任をもって決着をつけなくちゃいけない!


実はこの頃、なるべく大騒動(調停とか裁判とか)にならないで離婚できる方法はないかと模索中だったのですが、もう悠長なことは言っていられないと思いました。


2008年、そろそろ夏という頃、私は意を決して、元夫に言ったのです。


「出て行ってください!!」

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コメント

Re: タイトルなし

>美代さま

励ましのコメントありがとうございます(*^_^*)

母には辛い思いをさせてしまいました。亡くなって
はや3年半ほどになりますが、今でも思い出しては、
心で詫びています。

何もないけど、のんびりゆったり幸せな今の生活、
母にも味あわせてあげたかったんですけどね。

また読みに来てくださいね(^^)/~~~

花音



花音(かのん) | 2015.05.19 17:31 | URL


よくぞ仰いました。

ずっと読ませていただいておりましたが、お母様の件に涙が止まらず。

坊っちゃんたちも、おばあちゃんを庇っておられることに又涙。

たしかに父親が亡くなると、世間は冷たくなりますが、娘婿がやるなど聞いたこともなく、お母様のお心いかばかりかと読んでおりました。

今後の展開を待っておりますが、最後はお幸せに娘と孫に看取られて逝かれたんだと信じます。

素敵な可愛いお母様ですものね。

突然のコメ、失礼しました。

よそ様の元ご亭主ですが、ハラワタが煮えくりかえっておりましたので。m(__)m

美代 | 2015.05.19 12:35 | URL














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