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パワーアッパしたモラハラ夫 VS 守るべきものがある強さを得た妻~離婚までの経緯19


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数年ぶりに見る元夫は、加齢で多少衰えたとは言え、相変わらずの容色。


でも、元夫の「真実の顔」を知っている私にとって、その顔はもはや「美しい」ではなく「気持ち悪い」としか思えませんでした。


小さなパーツの一つ一つから、その配置まで、綿密に計算して作られたかのような顔は、まるで蝋人形それともフィギュアそんな風にしか見えなかったのです。


心を持たない人形が、いくら凄んで見せても、もう怖くないもちろんPTSDの発作も起きませんでした


ところが、モラハラ夫は、ひそかにパワーアップしていたのです


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帰宅第1日目から、ご近所の迷惑も顧みない傍若無人な行動で、モラハラぶりを発揮してくれた元夫。以前よりも、その粗暴さが増していることは、すぐに感じ取れました。


でも、パワーアップしていたのは表面的な荒々しさではなく、むしろ内面で増殖していた陰湿さや冷酷さだったのです。


それらの恐ろしいエネルギーを膨れ上がらせた要因は、


家族のため、約3年にも及ぶ単身赴任生活を強いられ

その間、妻は自分を労いもせず、自分の帰宅時には常に不在

たまに帰れば、自宅には妻の両親が入り浸り

息子たちも父親の自分に敬意を払わない

トータル的にすっかり自分の存在感が薄れている

と、まあ~ざっとこんなところでしょうか。


100歩じゃなくて、1000歩ぐらい譲って、元夫の立場で考えれば、確かに腹立たしいことは多かったに違いありません。


でも、このときもしも元夫が、上に書いたようなことを口に出したとしたら、きっと私は反論していただろうと思います。(実際には、上記は私が勝手に推察したことだし、元夫も言葉にしなかったので、口論にはならなかったんだけど)


確かに3年の単身赴任での労働はしんどかったでしょうが、家族の生活に関わるお金を1円も入れていない以上、「家族のために働いた」とは、決して言えないはず!

私が、自分でコントロール不能になるほど病んだのは誰のせい誰も好きこのんで、PTSDになどなりたくはなかった!

私が心の完全崩壊から免れたのは、両親の助けがあったからこそ!それに、夫婦としての「生活保持義務」を全く果たしていないあなたに、この家を「自宅」と呼ぶ権利はない!

息子たちが生まれて10数年、ただの一度も父子の接点がなく、途中からは経済的にも扶養義務を放棄してきた人のどこを尊敬すればいいのか!(元夫は、子どもたちに「おはよう」や「おかえり」という当たり前の言葉かけさえ、一度もしたことがないのです)

家族それぞれにとって、あなたという存在の必要性がない、そうさせたのは誰でもないあなた自身!


あのとき、こんな風に言えていたなら、もっと早く決着がついたかもしれないのに。


「売り言葉」に「買い言葉」というけれど、元夫は相当に怒り狂っていたはずなのに、なぜだか以前のように私に暴言をぶつけてこなかったのです。だから、売られないケンカを買うことも出来ず、言いたいことは言えずじまいになってしまいました。


「なぜだろう?なぜ、以前のように大声で威嚇したり、口汚く罵ったりしないんだろう


元夫が帰宅してきた瞬間から感じていた妙な違和感、私はそれを打ち消すことができなくて、すんごく気色悪かったんだけど…。


ほどなくして、違和感のわけがわかりました。


元夫、モラハラの攻撃手法を変えていたのです。


以前のようにドカンッ!ドカンッ!と大砲の弾でも撃ちこむような攻撃ではなく、まるで悪魔のささやきの如くジワジワと脳内に沁み入って、やがて精神をボロボロに蝕むような、「言葉による毒殺戦法」に出てきました。


それも私と母の両方を同時に追い込むような、二段階戦法とでもいうべきやり口。


無駄な労力を使わず、静かに潜行して確実に相手を滅ぼす、しかも2人同時に。


これが先述のとおり、「モラハラ夫は、ひそかにパワーアップしていた」と書いた所以です。


モラハラって進化するんですよ


おそるべし、モラハラ


たとえば、


私がたまたま元夫より帰宅が遅れたとき、


元夫 「やっぱり家族が1人増えた分だけ、必死で稼がないといけないから大変だね~」

 「・・・・・・・・。」

元夫 「あっ、ごめん、ごめん、ホントのこと言って。でも実の親っていいよね。わが子に苦労させても、厚かましく居座っていられるから。」


 (泣きそう



また別の日には、こんなことも。


私はパート先の締め日の関係で、毎月の末日だけどうしても残業になるので、母に夕食作りをお願いしていたのです。私が残業から帰ると、ちょうど元夫が夕食を食べ始めたところでした。


 「母さん、ありがとう♪今日のおかずはな~にと、あえて明るく元気に声をかけたとたん、

元夫 「どうりで、変な味だと思ったわぁ」と苦々しく言うと、自分のお皿の中身を生ゴミ入れに捨て去りました。


(唖然)




母は、基本的にはずっと専業主婦でしたが、手先が器用で手芸が大得意だったので、編み物やパッチワークを家で教えていたこともありました。


そんな母なので、その頃も時間があると何かしら細々と手作りしていたのですが…。


ある日、元夫がいきなり、


「娘ひとりを働かせて、いい気なもんですね。」と言いながら、毛糸玉の入ったカゴをテーブルから思いっきり払い落としたのです。


一瞬にして凍りついたリビングの空気の中、毛糸玉が床を転がって行きました。


年をとってずいぶんと小さくなった母の肩は、小さく震えていたと思います。以前の私なら、元夫のどんなに理不尽な言動にもジッと黙っていたけれど、そのときは思わず、


「何するの」と、大きな声を出しました。


すると元夫は、ゾッとするほど冷たい視線を私に向けて、


「花音が言いたくても言えないから、代わりに言っただけ」と言い返したのです。


これじゃ、益々、母は傷つきます。私がそんなことを言うはずがないとわかっていても、もしかしたら疑心暗鬼になるかも知れないと、私の心もひどく乱れたのを覚えています。


こんなやりとりはほんの一部のことで、元夫は四六時中、ジワジワと「言葉の毒薬」をまき散らしながら、モラハラ独特の存在感を示し始めたのです。


ただ、元夫が進化していた以上に、私もスッカリ変わっていました。もう以前のオドオドと支配されるだけの私ではありません。


父を亡くして、それでなくても心細い母。ずっと変わらずに愛情の限りを注いでくれた母。私にとって誰よりも大切な人。


そして、高校で思い切り楽しんだから、もう学校は充分と言って、「職人の道」を選んだ長男は、あと数日で住み込み先に向けて出発の予定でした。


口数は多くないけど、ここぞというときにはシッカリと自分の意見を言ってくれて、いつも私の心の支えだった長男もまた、私の大切な人。自分で進みたい道を見つけた長男を、気持よく送り出してあげたかった。


「近いから、ギリギリまで寝坊できる」という有り得ない理由で、家から100メートルも離れていない公立高校を受験して、ひょっこり合格した次男。


とんでもなくふざけた志望理由のようだけど、偏差値もとんでもなく高い学校なので、飄々と見せながら、おそらく必死で勉強したはず。


マイペースで底抜けに明るくて、怪我したりヤンチャしたりで心配もかけてくれたけど、この子の笑顔にみんなが救われてきました。そんな次男も私には、かけがえのない大切な存在。


母と2人の息子たち。

私が守るべき大切な人たち。

絶対に何があっても、元夫から守りぬこう、私はそう強く心に誓っていました。


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