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離婚に向けて準備スタート!喪失感を乗り越え手に入れた勇気と自信~離婚までの経緯16


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きのうの記事で、父の余命が残り少ないと知った日のことを書きました。


細身だけどガッチリと骨太で上背がある父は、70歳を超えてもなお若々しく見えました。実際、それまでに病気らしい病気をしたこともなかったので、いつまでも元気でいてくれるものと思い込んでいたのかも知れません。


まさか父が、そんな恐ろしい病魔におかされていたなんて…。



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ここ2年ほど、ほとんど毎日のように顔を合わせていたというのに、全く気づけなかった自分の鈍さが情けなくなりました。


そうとわかって見れば、最近はいっそうほっそりしてきたし、どことなくダルそうだったと思い当たります。私は、自分のことでいっぱいいっぱいで、父を気づかう余裕も思いやりもなくしていたのです。


「母さんは知ってるの?」


「うん、知ってるよ。」


母も知っていたということが、私はさらにショックでした。


心を病んでいる私にダメージを与えるのを恐れて、両親揃って事実を隠してくれていたのでしょう。


元来が物静かでゆったりしている父は、さほど演じる必要もなかったかも知れません。でも、いつも明るく陽気でおしゃべりな母が、父の事実を知ったあとも今までどおりに装うことは、どれほど辛かったことか。


いつも2人いっしょの両親なのに、どうりで今日は母が来ていないわけだと、そのときやっと判りました。父の言葉を聞いて、嘆き苦しむであろう私を見ることが、母には耐えられなかったのだと思います。


なんていうダメ娘なんだろう。わが身の親不孝や不甲斐なさを罵りたい気分でした。


命の期限を設けられた病気だと判明したとき、本人が察知しないように周囲が気づかうというのが世間でよくあるケース。それがわが家の場合はどうでしょう?病人本人が、私に悟られまいと気づかってくれていたのです。


「ごめんね。しんどかったやろ。」


私がやっとの思いでそう言うと、父はソファを離れて私の隣に来て、床に座りなおしました。それから、ただ黙って私の頭を撫で始めたのです。何も言わず、ただ撫で続けてくれる父の手の感触、今でも忘れられません。


どのくらいそうしていたのか、夕日が差し込んでいたリビングは、すっかり暗くなっていました。


しばらくして、「そろそろ子供ら、帰ってくるで。ご飯、作ったってや。」と笑顔で言って、父は母の元へ帰って行ったのです。


その日の夕飯を食べたあと、私が父のことを息子たちに告げると、次男は声をあげて泣き、長男は目を真っ赤にしながら天井を見上げていました。


息子たちにとっても、優しくて何でも教えてくれるおじいちゃんの存在感は絶大だったのです。幼いときから父性が欠落した家庭で育った2人は、その満たされない思いをおじいちゃんに埋めてもらっていたのでしょう。


その後しばらくの間、家事も仕事も手につかず虚ろに過ごす私に、あるとき長男が毅然と言いました。


「母さん、いい加減に元気になりーよ!」


私はハッとしました。

それは、父の病気を受け止めろという意味と、自分の心の病を理由に甘えるのはもうやめろという意味、その両方が込められているように感じたのです。


「強くなろう

「もう逃げるのはやめよう

「何がなんでも、離婚しよう



私はやっと心が決まりました。前に進むことを決めたのです。


それからは、「離婚」に関する本を読みあさったり、インターネットで情報をかき集めたりしました。離婚に向けての準備をスタートしたのです。


同時にパートの仕事量を減らしてもらうよう会社にお願いして、その分、ネットビジネスに力を注ぐようにしました。


時給いくらという定額のパートでは、稼げる上限が知れています。頑張った分だけ収入に反映する自営業務に重きを置いて、少しでも総収入額を上げたいと思いました。


息子たちと自分の生活費を確保しつつ、離婚交渉が難航したときのために(あの元夫を相手にしたら、きっと難航すると予測できたから)弁護士費用なども用意できる状態にしたかったのです。


どうしても、「離婚成立」という勝利を勝ち取りたい!そのために法律のプロの手助けが必要とあらば、お金のことで躊躇したくない、そんなことで怯んだりしたくない、そう思っていました。


それからの私は、自分のどこにこんなエネルギーが潜んでいたのかと、不思議に思えるほどフル稼働


間に合わないかも知れないけれど、父が生きている間に離婚の目処をつけたい、その思いが原動力だったのかも知れません。


でも、間に合いませんでした。


命ギリギリまで母と自宅で過ごしたいと願った父でしたが、年末になって肺炎をおこして緊急入院したのです。


2008年の年明け早々。


父は静かに息を引き取りました。


今でもよく思い出すのは、父が亡くなる前の晩のこと。


いつものように見舞った私が帰ろうとすると、父が「花音…」とかすれ声で呼びかけました。振り向くと、


「明日も元気な顔、見してな。」と言ったのです。


それが父の最期の言葉になりました。


父がいなくなって、私は大きな喪失感に包まれましたが、立ち直りは意外に早かった気がします。ちょっとへこんだときは、父の最期の声をリフレインして、「明日も、元気でいよう」と思えたから。


私は、父という大切な存在を失ったかわりに、「前に進む勇気」と、「絶対に負けないという自信」を手に入れたような気がします。


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