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モラハラの洗脳から解放された私を待っていたのは、新たなる慟哭~離婚までの経緯15


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前回、この「離婚までの経緯」についての記事を書いたのは5月7日。少しだけ、間が空いてしまいました。


今日は、モラハラ被害者だと自覚できた私が、PTSDの治療を始めて1年ほど経った頃のことを書きます。


すでにこの頃は、発作も全く起きなくなり、たびたび通院する必要がないほどまでにPTSDは軽快していました。私は、モラハラの洗脳から解き放たれ、やっと本来の自分を取り戻しつつあったのです。


そんなある日、父が特徴のある優しいバリトンで、静かにこう言いました。


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「花音、勇気を出して離婚しなさい。」



離婚に関しては、私自身もずっと考えていました。


でも、元夫のパーフェクトなまでのモラハラぶりを思い出すと、「離婚したい」と、口火を切る勇気がどうしても持てなかったのです。


かと言って、このまま元夫の顔を見ないように避け続け、中途半端な生活を続けているのは、決して建設的ではありません。そのことも、よーくわかっていました。


両親のいびつな関係を見せ続けることは、息子たちにとっても悪影響でしかないはずです。


私が離婚すれば、彼らには「ひとり親家庭」という、ある意味でのハンデを背負わせることになるでしょう。


でも、よく考えればこれまでもずっと、親は私ひとりだけみたいな生活でした。経済的には、今までと変わるところは何もありません。


それならば、私自身が笑顔でいられる環境を創ることが、息子たちにとってもプラスになると信じたい月並みな言い方をすれば、父親の分まで私ががんばろう


この頃は、そんな風に前向きな強い気持ちを持てるようにまでなっていたのです。


おそらく父も、私がずいぶんと強くなったことを感じ取って、自らの想いを告げる決心をしたのでしょう。


夕日が差し込む南西向きのリビングで、「話したいことがあるんや。」と、父は切り出しました。


「花音、勇気を出して離婚しなさい。」


L字型のソファで父の斜め向かいに座った私は、その声に目を上げました。そして思わず、「あっ!」と声を上げそうに驚いたのです。


父の目は真っ赤で、今にも堰を切って流れ出しそうに涙をたたえているではありませんか。


驚く私にかまわず、そのまま父は続けました。


「あんなぁ、父さん、もうあんまり長いこと、花音を助けてやられへんと思うねん。」


「なんで?」私は、おそるおそる聞きました。


「父さん、悪性リンパ腫っていうタチの悪い病気でなぁ、ちょっと前にT先生(父のかかりつけ医で、同時に同級生)から、あと1年って言われてん。」


私は何かで思い切り頭をなぐられたような気がして、ソファから床に崩れ落ちたことを覚えています。


何も言葉が出ません。


父がいなくなる!!?


いつも優しくて、ゆったりと大らかで、どんなときも私の味方で、そして必ず私を助けてくれた父。


庭いじりが大好きで、野菜や花の苗に「大きくなりや~」と、いちいち声をかけながら植えていた父。


今日も、ついさっきまでゴム長姿で、庭の花や野菜としゃべっていた父の口から、まさかこんな哀しい告白をされるなんて。私の頭の中は混乱を極めていました。


今、聞いたことが現実なのか、それとも悪夢か、あるいは幻影なのか。


願わくば、これが今までと違う形のPTSDの発作か何かだったらいいのになぁ、と愚にもつかない事を思ったり…。



あの日、リビング中を包み込むようにたっぷりと差し込んだ夕日は、やけに美しい蜜柑色でした。


今でも蜜柑色の夕日を見ると、ペタリと床に座ったまま、まるで吠えるように泣き喚いていた自分を思い出します。


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