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PTSDの治療は、モラハラに侵食された心のデトックス~離婚までの経緯14


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元夫の転勤を機に実家に引っ越して以来、たびたび謎の発作に襲われるようになった私。病名さえもわからず苦悩する私を救ってくれたのは、父が探してくれた診療内科の先生でした。


これまでの記事で、私の病名がPTSDだったところまでお伝えしました。


このPTSDの治療内容については、いずれ別途、PTSDに特化した記事を書くつもりです。今日はPTSDの治療過程で、モラハラの存在が浮き彫りになってきたことについて書こうと思います。


私の場合、自分がモラハラの被害者だという自覚が持てるようになるには、かなりの回数の通院が必要でした。

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モラハラの事例としてあげられていることは、確かにことごとく元夫と私の場合に当てはまりました。


だとするなら、元夫と生活を共にしてきたこれまでの長い期間、どうしてただの一度も発作が起きなかったのだろう?


なぜ今ごろになって(発作が起き始めたのは、結婚して17年目の頃でした)、これほど苦しい発作に襲われるようになったのだろう?


そこのところが、どうしても私には腑に落ちなかったのです。


でも、先生は根気よく私の疑問を解いてくれました。


元夫が単身赴任になったことで、1ヶ月以上の元夫不在期間ができ、それによって私が無自覚のうちに感じていた強烈なストレスが、一時的に軽減されたわけです。


そこへストレスの元凶である元夫が、定期的に帰宅することになります。


強烈なストレスのない生活の安らぎを知った私は、再びそのストレスを受け止めることが、どうしても困難になってしまったのです。


そこで、それを何とか回避したい、どうにか逃れたい、そういう潜在意識が芽生えます元夫の帰宅に合わせて発作スイッチを押すものの正体は、その潜在意識だったのです。


こういう心のメカニズムが充分に理解できたことで、自分が「精神的な殺人」とまで言われるモラハラによって、長い間虐げられていたことをはじめて自覚したのです。


その自覚が持ててからは、治療も目に見えてスムーズに進んだように思います。


それまでは、自分の経験したモラハラの実態を、言葉で説明することが上手にできませんでした。無理にしゃべろうとすると、言葉よりも先にあの発作が出そうになって、「これ以上、ムリー!」みたいな状態になってしまうのです。


でも、一度状況説明に成功すると、どんどん話せるようになりました。これが通院し始めてから、2ヶ月か3ヶ月ぐらい経ったころのことだったと思います。


ちょうどそのタイミングで、久しぶりに元夫から「◯日の夕方、帰る」というメールが届きました。


それを見た途端、あの呼吸困難の発作が起きてしまったのです。私は、数カ月ぶりに入院する羽目になりました。


ものすごーーーーく、ショックでした


だって、この発作がPTSDという病気に起因するものだとわかったからこそ、何度も通院して治療しているのに。


それに最近やっと、自分がモラハラの被害に遭っていたことも自覚できたというのに。


「全然、治ってへんやん」と思うと、情けなくて悲しくて、病室でワンワン泣いてしまいました。


しかも、これまでなら元夫の帰宅ギリギリに起きていた発作が、このときはメールを見ただけで発症したのです。


「前よりアカンやん、私」と、さらなる自己嫌悪に陥ってしまいました。


無機質な壁や天井を見ていると、様々な感情が脈絡もなく湧いてきます。


不甲斐ない自分を責める気持ち。


私を救おうと、身を削るようにして尽くしてくれる両親に詫びる気持ち。


こんな母親の元に生まれた息子たちを不憫に思う気持ち。


こうして度々休んでしまって、たくさん迷惑をかけている職場の人たちに申し訳ない気持ち。


こんな病気になるまで私を追い込んだモラハラと、そして元夫その人を改めて憎む気持ち。


しまいには、どうしてもっと早くPTSDを治してくれないのと、心療内科の先生を恨む気持ち。


それはもう次から次へ、ありとあらゆる気持ちがない混ぜになって、ベッドに横たわる私を襲ってきました。


あとから思えば、このときの発作の再発と感情の発露は、私の心の自浄現象だったのです。


それは病気が回復する過程で、いったんは悪化したように見える好転作用、あるいは病みきった心のデトックス作用とも言えるでしょう。



PTSDの治療では多くの場合、病気の原発となるトラウマの原因をシッカリと直視することがすすめられます。でも、私の場合、この段階ではそれが逆効果になり、症状の悪化と硬直につながると担当医のアドバイスを受けました。


そのため、このとき以降、元夫が帰宅する際には、私は実家に移って過ごすようになったのです。こうして元夫と直接は対峙しないまま、さらに1年近くが経ちました。


やがて、2007年も半ばに差しかかった頃、新たな不幸がやってきたのです。



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