ホーム離婚までの経緯シリーズ ≫ 来た道よりも行く道の方がまっすぐで明るい、PTSDの治療開始は人生のリスタート~離婚までの経緯13

来た道よりも行く道の方がまっすぐで明るい、PTSDの治療開始は人生のリスタート~離婚までの経緯13


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父と訪れた病院で、私を苦しめ続けた謎の発作の正体が、PTSD(心的外傷後ストレス障害)だと判明したことは、すでにお話したとおりです。


PTSDの名前自体は、私も聞いたことがありました。


あの阪神淡路大震災の発生後しばらくしてから、よく見聞きするようになり、多くの方に知られることになった病名です。


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震災当時、私達家族も神戸に住んでいたので(その翌年に信州に転勤)、住宅被害はかなりありましたが、幸いにも家族は怪我もなく無事でした。


震災当時、私が勤めていた会社に、女子社員の誰もが憧れて、目標にするような女性係長がいたんです。


彼女は家庭をとても大切にしていて、家事や育児もしっかりやっているのに、男顔負けの仕事ぶりというスーパーウーマン。

でも、激震地にお住いだったため、甚大な被害に遭ってしまったのです。


彼女は被災後しばらく休職したのち、引き継ぎのため数日だけ出勤して、ひっそり静かに退職して行きました。


その時、同僚の女性社員達といっしょに、「◯◯係長みたいにデキる人が、あっさり辞めるなんてもったいないね~。」などと、人ごとのように話したものです。


しばらくして、その係長が被災によるPTSDのため、仕事はおろか家事さえもままならず、とても苦しんでいたと知りました。そのときも、お気の毒だとは思ったものの、やはりどこか人ごとと感じていた気がします。


自分が同じPTSD(発症の仕方や病状は個人差がありますが)と診断されたとき、最初にその係長のことを思い出しました。


どれほどの苦しみだったことか、心が壊れることでいかに多くのものを失うことになるのか。自分が同じ病気になってみて、初めて骨身にしみてわかったのです。


自分が痛い思いをして、やっと人の痛みがわかる。人間というのは、実に身勝手なものだなと思います。



父が探し当ててくれた病院、そして担当の先生との出会い。そこから、私の2度目の人生が始まりました。


出口の見えない暗闇の中で、すでにもがくことさえあきらめて十数年。


ただ、病名も原因も不明なまま、自分がどんどん壊れて行くことだけはハッキリとわかる!それがどうしようもなく苦しくて、さらに底なしの深みに堕ちていくような恐怖を感じていました。


だから、自分がPTSDだと判明した時、とても変な言い方だけど、妙にホッとしたんです。得体のしれなかった発作に病名がついた、ただそれだけでも救われた気になりました。


初診の日の帰り、自分の前方に何やら明るい光が見える気がしたのを覚えています。


それは本当にかすかで、わずかな点みたいな小さい光だったけれど。


この先、どのくらい通院すればいいのかさえ、まだ見当もつかなかったけれど。


それでも。


「来た道よりも、行く道の方が、まっすぐで明るい」


私は、そう確信できたのです。

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