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父と母の申し出に親のありがたみを実感~離婚までの経緯 2


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父の言葉を聞きながら、私は親のありがたみを痛感していました。


おそらく、父は転勤があってもなくても、同じ提案をするつもりだったはずです。


娘と孫のために自分にできる精一杯のことは何だろうかと、いつも思い悩んでいたであろう父。どんなことでも母に相談して決めていた父。きっと今度のことも母と2人で、何度も何度も話し合ってきたのでしょう。


実家の茶の間で、私たちの話題を夜ごと繰り返す父と母の姿が、私には目に見えるようでした。


フッと気がつくと…


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いつの間にか私は、ボロボロと泣いていました。


穏やかに話す父の顔も、泣いている私の手を黙ってさする母の顔も、もう何も見えないほどに涙がとめどなく溢れてきたのです。


嬉しいのか、哀しいのか、その涙の理由が何なのか自分でもわかりません。


いいえ、本当はよくわかっていました。


長い間、考えに考え、考えあぐねた末に最良の提案をしてくれた父と母。いつ言おうかとタイミングをはかっているところに私からの転勤の報告があって、今しかないとばかりに翌日に飛んできてくれた父と母。


そんな親の愛を受け入れることができない自分が切なくて、情けなくて、何より2人に申し訳なくて、そんな思いが涙になってこぼれ出たのです。


本当はすぐにでも実家に引っ越したかった。数年ごとにアチコチの街を渡り歩く、そんな根無し草のような転勤生活に疲れてもいました。


社命で転勤するため、引っ越し費用は全て会社持ち。でも、行く先々で変わる窓サイズに合わせて買い換えるカーテン代、引っ越しの作業員さんへの心づけ、近隣に配る手みやげ、そんな細かい出費までは当然ながら面倒は見てもらえません。


私一人の収入で細々と暮らすわが家にとって、引っ越しの度に出て行く臨時出費はものすごく大きな負担でした。だからこそ、自分が育った家で腰を据えて暮らせるなら、経済的にも精神的にもどんなに楽になるでしょう。


それでもなお、私は父の申し出を断るつもりでした。だから、それが切なくて、哀しくて、泣いていたのです。


どうして断らなくてはいけないのか。その理由は元夫でした。


元夫は、私の実家を毛嫌いしていました。だから、結婚話が決まったときと、結納の時、この2回以外はただの一度も私の実家には顔を出していません。正月やお盆さえ、ただの一度も。


それだけでなく、私や息子たちが私の実家に帰省することにさえ、元夫は決していい顔を見せませんでした。


長居すればするだけ、帰宅後の元夫の機嫌が悪くなることがわかっていたので、九州からの帰省のときでも私は1泊だけで戻ることにしていたほどです。


私の両親と元夫との間に、取り立てて何か大きなイザコザがあったわけではありません。


ただ強いてあったとするなら、元夫とその親兄弟がある新興宗教に入信していて、そのことについて私の父が「信仰は自由だけど、娘や将来生まれてくる子どもに強制することだけは絶対にしないと約束してもらえるか?」と問いかけたことでしょうか。


そのとき父は、元夫の気分を損ねないように気遣いながら、極めて穏やかに問いかけました。それでも元夫の顔色は見る間に険しく曇り、父の問いかけには最後まで答えようとしなかったのです。


たぶん、それ以来、私の実家(というか特に父)を敬遠するようになったのだと思います。


だから、そんな元夫が私の実家に引っ越すことに同意することは絶対にあり得ません。もし、私がその気になって、父の提案に「YES」と答えようものなら、またいつもの辛くて恐ろしい症状が出現するに決まっているのです。


私の中で、実家に引っ越して落ち着いて暮らせることへの希望よりも、元夫からの辛い仕打ちを受ける恐怖の方が完全に勝っていました。


父の話が終わると同時に、私は泣きじゃくりながらこう言い始めました。


「ごめんね、お父さん。せっかくそう言ってくれたけど…」


そのとき、私の言葉にかぶせるように元夫が思いがけない言葉を発したのです。


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