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究極の断捨離!夫も、そして妻という肩書も必要ありません~離婚までの経緯29


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別居後、最初に元夫からのメールを受け取ったとき、それが元夫のメールだとは一瞬信じられませんでした。


それまでは、単身赴任先から送ってくる、「◯日夜、帰る」とだけ書かれた、電報みたいな短いメールしか見たことがなかったからです。


今までとはまるで違う、その長いメールには、タイトルが書いてありました。



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メールのタイトルは、「勧告」


「カ・ン・コ・ク??あぁ、通知のもうちょっと強めのヤツね。」


と、ちょっとビックリしたのを覚えています



元夫は、この当時すでに定年直前の年令で、勤め先での立場もそこそこの人でした。


おそらく日頃から、部下に対して横柄だったり、高圧的だったり、命令口調だったりしたのでしょう。


メールの文面は、そう想像させるに充分でした。


書かれていたこと全部は、もちろん覚えていません。ただ、頻繁に登場するフレーズがいくつかありました。



たとえば、


「俺と離婚すれば、事業本部長の妻という肩書がなくなるぞ。」という一文。


あの頃、もし仮に200通のメールが届いたとして、そのうち190通くらいに登場したフレーズです。


この人の妻という肩書で、私が何かしらの得をしたことなんて一度もありませんでした。


だから、そんな肩書は私にとって、何の意味もなかったのです。



その次に多かったのは、「離婚したら、どれほどみじめかわかっているのか?」という一文です。


何をもってこんなことが言えたのでしょうか。


この期に及んで、みじめさを示唆してくれなくても、私にとっては結婚生活そのものが、みじめさに満ちたものでした。だからこそ離婚をして、人並みの人生を取り戻したいと思ったのですから。



そして、もうひとつ。


「離婚なんかして、子どもたちが可哀想だと思わないのか。」というもの。


このフレーズも理解に苦しみました。


2人の子どもたちが生まれてこのかた、みごとなくらいに一度も子どもたちに感心を示さなかった元夫。その人から、こんなことを言われてもピンと来ませんでした。


子どもたちのことを持ち出せば私が折れると思っただけで、元夫自身の中には、子どもたちへの愛情も執着もなかったのです。そのことは、この2年半後、正式に離婚する際にまざまざと露見しました。


離婚届を見たことがある方なら、親権者を記載する欄があることをご存知だと思います。私は離婚届を提出する直前、念のため元夫に確認しました。


「親権者欄には、私の名前を書いていいですね?」と。


そのときの元夫の答えは、「俺は、そんなもんいらん。」でした。


元夫という人は、夫としてだけではなく、父親としての愛情さえ、ひと欠片も持ち合わせてはいなかったのです。



元夫のメールの最後は、これもまた毎回同じフレーズで締めくくられていました。



「お前のためにも、離婚は絶対にしないから。」と。


私も毎回、「本当に私のためを思うなら、どうか離婚して下さい。」と、返し続けたのです。


こうして奇妙な「メール交換」と、いつも破り返される離婚届用紙のやりとりが続きました。


もちろん一気に決着をつけられるなら、それに越したことはないのですが、この頃の私はお金を稼ぐために必死で、とにかく忙しかったのです。


だから心のどこかで、「とりあえず今は、元夫の姿を見ずに過ごせるだけでよしとしよう!」という思いがあったのでしょう。


ただ、どれだけ月日が経過しても、どれだけたくさん元夫の「勧告メール」が届いても、私の離婚する決意は翻りませんでした。


むしろ、晴れて離婚できる日を目標にすることで、頑張る気力を保てていたのです。



私には夫という存在も、そしてその妻だという肩書も全く不要なもの。


私にとっての離婚とは、その不要なものを捨て去る、まさに究極の断捨離だったのです。


次回は、いよいよ離婚が成立した2011年のことを書く予定なので、よかったら見に来てください。


では、また


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